翠々日和

流れるように暮らしたい、20代の日記です。植物と珈琲がすき。

お休みの日4 | やさしい手仕事と生き方と

こんばんは。

 

今日はお休みの日でした。

 

土曜日は掃除の日と決めているのですが、

今日はユニットバスの排水口以外、ちゃんと出来ていません…

 

本来は、ガスレンジ周りと玄関のタイルも土曜日にやる掃除なのですが

午前中の洗濯物が多かったのと買い出しが長引いたのと

午後も用事があったのとで、なかなか。

 

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部屋にいるとルドベキアに癒される…

 

こういう日もある。

 

仕事の日の分の作り置きはまあまあ出来たし、ふつうの掃除も出来ているし、

休日にしか済ませられない用事も済ませた。

だから、まあいいでしょう。

 

 

合間の休憩は、やっぱり珈琲。

 

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のんびりゆったり、挽いて、淹れます

 

広島の「仄々珈琲」さんのお豆、久しぶりに注文しました。

 

ブレンドの変わらない優しい味と、大好きなマンデリンの深い味と。

あぁ、この方の焼く珈琲が好きだな、とあらためて思いました。

 

そんな珈琲屋さんがこの世にあること、本当にありがたくて幸せです。

 

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"思いを灯す" の言葉

 

かのこんな仕事が、ほかの誰かの今日を包んで、明日の光になって、

 

そういう優しさが波紋のように広がって、ほかの波紋と触れ合って、

 

響き合って、また、循環する。その環が少しずつ、大きくなる。

 

 

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大切なのは、自分のいる場所の光をちゃんとひろって、

 

自分の仕事に集中して、丁寧に続けることだなあ、と

 

そんなことを思う、珈琲時間でした。

 

 

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夏の光と影と

 

 

私はずっと、自分自身に不足ばかり感じていて、

 

だから何を頑張っても、たとえ成果を出しても、褒められても、

 

結局、心が満ちることはなくて、どんどん追い込まれていました。

 

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何の光も見つけることができなかった日々

 

何をどうしたら自分を認められるのか、自分や他者を本当に好きになれるのか、

 

わからなくて苦しくて、とにかく目に見える形で結果を出すことに拘っていました。

 

それは前職のSE時代だけでなく、小学生の頃からずっと、そうだったように思います。

 

 

でも、段々と自分が変わってきているように、今は感じられるのです。

 

「少しずつで大丈夫です」

 

そう言ってくれた人がいました。

 

それだけで十分でした。

 

気づけば、もう何も、私には必要なくなっていたのです。

 

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雨上がり、ベランダから


ようやく生きることの光が見えて、足りないものはないのだと気づいて、

 

自分の中のエネルギーがいい方に向かい始めたのが、ここ数ヶ月のことです。

 

いろんな小さな光の記憶が重なって、ここまで来れたように思います。

 

もちろん、常に穏やかとはいかないですし、急に落ち込む波が来る時もあります。

 

でも、以前のような絶望感はないのです。

 

ゆっくりとでも、また前を向いて、自分の足で歩ける、

その自信が、少しずつ付いてきたのかもしれません。

 

・・・

 

あら、何だか話が飛躍してしまいました…

 

ともかく、私はこんな感じで今、生きていて、自分の生活や仕事を楽しいと思えています、という

誰に向けるでもない、長いお便りでした。

 

読んでくださった方、ありがとうございます◎

 

佳い夜を過ごせますように。

 

 

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